- July 15, 2005 12:19 AM
- 8-hours
前年の劇的な展開にすっかり味を占めた我々は翌年も鈴鹿にやってきた。後輩の参加で人数は倍に増えていた。この年は今もあるゴルフ練習場(サーキット正面ゲートからボーリング場、駐車場、そのさらに奥)にテントを張った。装備が貧弱だったせいかもしれないが、なぜかこの頃は朝が非常に冷えて寒さで目がさめてしまった。
先発の場所取り組と後発のテント撤収組との連絡は大きなトランシーバーだった。確かグランドスタンドあたりとコースの向こう側S字あたりとなら、なんとか会話できたように記憶している。
この年は異様に豪華なGPライダー陣が参戦していた。ワイン・ガードナー、ニール・マッケンジー、ケヴィン・マギー、ウェイン・レイニー、ケヴィン・シュワンツ、(GPデビュー前の)マイケル・ドゥーハン、さらには我らが平忠彦...。当時はるかに遠い世界だったGPを転戦するライダーたちが夏の鈴鹿で耐久を戦う、今となっては信じられない夢のようなレースだった。
前年リタイアの雪辱をもくろむホンダのガードナーは序盤こそヤマハのレイニーとバトルを繰り広げたが、ライダー交代をした時点で両チームの明暗が分かれてしまった。マギーに交代しても安定したスピードを保つヤマハに対して、マッケンジーのタイムが上がらない。ピットインを繰り返すたびに2チームの差は広がりつづけ、最後はRVFのマシントラブルという形で決着してしまった。
速く、しかもノントラブルで走り続けるマギー/レイニー組は背後を脅かされることなく独走を続け、最後の最後にライトが点かなかった!?(無理やりピットインさせてライトオン。マギーが点けてなかっただけだったか)以外は本当に何事も無いままに8時間を走り切りヤマハ2連勝となった。
1人で走るスプリントと2人で走る耐久との違いがホンダの誤算だった。前年の500ccクラスチャンピオンのガードナーと、500ccで鈴鹿のコースレコードを持っていたマッケンジーとのコンビはヤマハのマギー/レイニー組に十分対抗できるはずだったが、マッケンジーとガードナーのライディングスタイルが違いすぎた。
深々とコーナーに進入しマシンをねじ伏せるように向きを変えて直線的に立ち上がるガードナーと、大きなRでなめらかにコーナーをクリアしようとするマッケンジーではマシンセッティングがまったく違い、ガードナー寄りのセッティングのためにマッケンジーのタイムが伸びなかったのだ。1+1が必ずしも2にはならない耐久レースの難しさだった。
そして残り10分まで走りながらまたしてもエンジントラブル、S字で観戦していた我々の目前でストップしてしまったTECH21の平...。8時間走り続けることの難しさを思い知らされた1988年の8耐だった。
- Newer: 熱中症を防ごう
- Older: DREAM AND SPIRIT OF Honda