第3戦 日本GP 決勝

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Round 3 Marlboro Grand Prix of Japan: Suzuka International Racing Course, Suzuka, Japan, April 19-21, 1996

500cc

500ccクラスの決勝、ホール・ショットを奪ったのはポールからスタートのアレックス・クリヴィーレだったが、1コーナーでインから藤原克昭が仕掛けいきなりトップに立った。94年の阿部を彷彿させる藤原の走りに観客は早くもヒートアップしていく。トップで周回する藤原は、しかし、5周目のスプーン進入でアレッシャンドレ・バロスにかわされ、さらに130Rではミック・ドゥーハンにも先行されてしだいにポジションを落としていった。

藤原の後退をよそにトップグループでは500ccとは思えない集団でのバトルが展開されてゆく。6周目の130Rでドゥーハンがトップに立つが、いつものように逃げることはできなかった。ドゥーハンの後ろに好調のバロス、予選11位、3列目から絶妙のスタートを決めてポジション・アップしてきた阿部、ポール・シッターのクリヴィーレ、NSR500Vの岡田忠之、さらにその後方からV4NSRに乗る青木拓磨がファステスト・ラップをたたき出しながら追撃態勢に入っていた。そして問題の8周目、前の周回のスプーンでバロスをかわした阿部はドゥーハンのスリップにぴたりとつき、S字でチャンピオンのインをこじあけてついにトップを奪うことに成功した。

逃げる阿部、追うドゥーハン、クリヴィーレ、拓磨、バロス、岡田。アクセルをゆるめない阿部の走りにつられてペースが上がった中盤はサバイバル・ゲームの様相を呈してきた。まずは10周目に12番手を走行中のロリス・カピロッシがスローダウンしてリタイア、12周目の1コーナーでバロスが派手にふっとんで脱落(さいわい怪我はなかった)、さらに13周目に9番手走行中の藤原がマシントラブルでリタイア、ドゥーハンもフロントタイヤのトラブルで後退。16周目には拓磨が転倒、右鎖骨を折る怪我を負い、コースに救急車がはいる。

ここに至って、観客の間で阿部優勝の可能性がささやき出される。ドゥーハンのペースが上がらない。そして、阿部はコース・レコードを更新しながら予選より速く周回を続けている。もしかしたら? しかし最後までタイヤが持つのか、あるいは一昨年のように...? 2番手のクリヴィーレとの間に充分以上のアドバンテージをとった今、焦点は阿部自身の走りに絞られてきた。
そして迎えたファイナル・ラップ、阿部が目の前(S字の3つ目)を通り過ぎる。後はレース・アナのみし奈さんの実況に耳を澄ますのみ。デグナーをクリアした。ヘアピン先の200Rも大丈夫だった。スプーンでこけるな、130Rでとぶな、シケインつっこみすぎるな...そして最終コーナーを立ち上がって...!!!

優勝は阿部典史、2位にクリヴィーレ、3位にスコット・ラッセル。

阿部典史−1975年9月7日生まれ、20歳

1993年
全日本500ccクラスにチーム・ブルーフォックスからエントリー。開幕戦の鈴鹿、エンジン・ストールでスタートに失敗したが、最後尾から驚異の追い上げで2位表彰台を獲得し一躍注目される。この年、全日本500ccクラス・チャンピオン。翌1994年から全日本500ccクラスが休止されたため、全日本最後のチャンピオンとなった。
1994年
日本GPにワイルドカードで参戦。シュワンツ、ドゥーハンらに混じっていきなりトップを激走、ラスト3周の1コーナーで転倒リタイアという衝撃のGPデビューを飾った。この走りがウェイン・レイニーの目にとまり、シーズン途中からGPに参戦を開始する。
1995年
マールボロ・ヤマハ・ロバーツからGP 500ccクラスにフル参戦。ブラジルGPで3位表彰台に。ランキングは9位
1996年
ルカ・カダローラの移籍を受けて、ヤマハのエース・ライダーに。開幕戦のマレーシアGPで8位、2戦目のインドネシアGPでは 9位、3戦目となる日本GPでは予選11番手と出遅れたが、決勝では見事な走りでGP初優勝を飾った。日本人のGP500ccクラス優勝は1982年、スウェーデンGPでの片山以来14年ぶり3回目。鈴鹿では史上初。20歳7ヶ月での優勝はフレディー・スペンサーの20歳6ヶ月に次ぐ若さである。

250cc

250ccの決勝レース、予選3番手から絶好のスタートを決めたのはワイルドカードで参戦の全日本チャンピオン、沼田憲保だった。沼田はそのまま後続を引き離そうとしたが、マックス・ビアッジが沼田を捉える。4周目のS字でトップを奪い返したビアッジは10秒台をキープしながら独走態勢を築いていった。一方、ポールポジションを獲得した原田哲也は1周目4位の位置につけてタイヤが暖まるのを待ち、3周目にはファステスト・ラップを出してビアッジ追撃にかかったが、4周目のダンロップコーナーでハイサイドを起こして転倒リタイアとなってしまった。この時点で1位ビアッジ、2位沼田がほぼ確定し、興味は3位争いに移った。

3位争いを展開したのはオリビエ・ジャック、宇川徹、青木宣篤、そしてワイルドカードで参戦の加藤大治郎の4台のNSRだった。順位を入れ替えながら続いた3位争いは後半になって青木がやや遅れ、ジャック、宇川、加藤の3台にしぼられた。そしてファイナル・ラップで加藤がねらいすましたスパートで前に出て GP初参戦で3位表彰台に登った。

125cc

フロントロウに4人の日本人が並んだGP3決勝、飛び出したのはペーター・エッテルだった。さらに徳留真紀、エミリオ・アルサモラ、上田昇、青木治親、斎藤明と集団を形成、順位を入れ替えながらの混戦が続いた。動きがあったのは8周目、2位を走行中のアルサモラがスプーンで転倒リタイア、さらに 9周目、エッテルがスローダウン。替わって坂田和人が2'17.055というコース・レコードたたき出してぐんぐんとポジションをあげてきた。逃げる徳留、追う坂田、斎藤、上田、青木。12周目の130Rでついに坂田がトップに。すかさず徳留が抜き返し、それをまた坂田が抜き返す激しいバトルになる。しかし残り3周で坂田のマシンがスローダウン、無念のリタイアとなってしまう。

残り2周で勝負の行方は上田、斎藤、ペルジーニ、青木、徳留の5台に。ファイナル・ラップの2コーナーで斎藤がクラッシュ、さらに最後のシケインで青木がブレーキングをミスして上田と交錯、ペルジーニが行き場を失ってクラッシュ、混乱の中、徳留がインドネシアGPに続く2勝目をあげてランキングトップに立った。2位は青木、3位に上田。